1991

グランジ、オルタナの影響を受け曲を作り始める。


1993


映画監督を目指し、京都の短大の映像科に入学する。


1994


京都のライブハウス『拾得』『アザーサイド』の飛び入りライブに通い始め、音楽活動に没頭する。


1995


東京に夢を追って上京する。高い家賃を払う為に必死でバイトする。


1996


『東京は人の住むとこじゃない』と東京に負けた者がよく口にする台詞を胸に秘め、京都に戻る。
五畳半、トイレ共同のボロアパートで再出発する。

1997


京都の音楽シーンが異様に盛り上がってる頃で、この間に色んな人と出会う。色々あって京都の街を去る。


1998


愛知の実家に戻る。新聞の折込チラシで見つけたスーパー内の写真屋に就職し、店長を任せられる。ここで商売のイロハや店舗経営を学ぶ。


2000


写真屋の傍ら、プライベートな時間に映画のシナリオを書き始める。

2001


自主制作映画を撮り始める。名古屋の劇団の人達に出演してもらう。


2002


デジカメが主流になり、写真屋の商売が厳しくなる。店をたたみ退社する。
国から失業手当てをもらい3ヶ月間ブラブラする。
職安でショッピングセンター内の警備員の仕事を紹介してもらう。月300時間労働という激務に耐える。


2003


同僚のオッサンから『おめぇ、わけーんだから探せば他にも職あるだろ』と言われ、もっと自分を活かせる仕事に就こうと思い退社する。
健康器具の訪問販売の会社に就職する。その業界では『訪問販売の神』と言われてる人にマンツーマンで営業のイロハを叩き込まれる。


2004


世間に悪質な訪問販売が増え、訪問販売への風当たりが強くなる。営業所閉鎖に伴い、職を干され退社する。
真剣に職を探す。就職情報誌を何十冊も隅から隅までチェックし、今の会社に就職する。エネルギー関連の営業をしている。


2006

仕事にも落ち着き、プライベートにゆとりができる。埃まみれのギターを取り出し、曲を作り始める。ライブハウス『拾得』『アランプーサン』『足助の鍛冶屋さん』『スロウブルース』などの飛び入りライブに頻繁に出演し、作った曲を煮詰めていく。


2007


ホームページ「HADA WEB SITE」開設。
鶴舞のKD JAPONで開催された「未知との遭遇vol.1」に出演を果たす。

2008

「未知との遭遇vol.2、vol.3」と出演を重ね、この年、KD JAPONにて計5回のライブをこなす。

2009

HADA初、全国流通CD、「Direct」発売!!(SC-005)

多くのイベントに出演する。(つぶろっく、ナゴヤトバシvol.1、3、番外編、みなとロック、タイニーバンパクvol.39、円BURRRRRNin円盤、双葉双一のオープニングアクトなど)


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HADA
知県出身